kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

すごいんです。


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「平凡」な人生を歩んで来ました。

 

今は3人の子供にも恵まれ、

家も手に入れて、

経済的な不安も少ないです。

 

平凡で、普通で、並の生活・・・

と、思っていました。そうしたら、違うんです!

先ずは、子供、スペック高いんです。

 

同年代の僕と比べたら、うらやましいくらい。

また、多くの情報と、行動範囲が全く違う。

当然この世の中も、多くの経験から成長してきたんですね。

当時の僕は親から常に「不安」を教えられていました。

僕も妻も同じ文化圏でしたので、

同じように子供たちに「不安」を教えていました。

 

危なかった~、

少なくともそこには気づくことが出来ました。

 

だから、子供たちには思う存分「今」を体験して欲しい。

良きも悪しきも味わいつくして欲しい。

今、「気づかない」この時に。

 

そして、僕はその成長を見て幸せになります🎵

妻と、子供たちとそのプロセスを味わいます。

 

妻にも触れておくと、「貧乏性」です。

そのお陰で、僕の夢も沢山かないました。

今、新たなこころみに挑戦しています。

 

家族みんなで、沢山の体験を幸せとして共有しち生きます🎵

一つの解釈なんだけど・・ 


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頭にあるうちに書きつらねます。

 

① 自分が幸せであることはもとより、

私を取り巻くすべての人に「幸せ」であって欲しい。

家族、

同僚、

友人、

知人、

いや、

そんな枠組みではなく、すべての人に。

だから、どこかの誰かが宝くじに当たるのも嬉しいし、

高級スポーツカーを手に入れるのも素晴らしい。

僕の願いが叶ったと同じように嬉しい🎵

だって、

やがてその喜びは、僕も共有出来るのだから。

 

次!

② 僕が悲しいと思ったり、不快だったり、怒りに感じることは、

過去にそのように感じるよう教えられたから。

そのように学んだから。

悲しい想いをさせた他者が悪いのではない。

その人はその人の価値観であるのだから。

でも、もしかしたら、その教え(価値観)は間違っているかも知れない。

だから、どのようにしてそのように自分が学んだのかについては回想するべき。

 

悲しみや、怒りは、それを知るため、

もしくは「間違っているかも知れない?」

と確認する機会・・・なのかな?

(ここが少しよくわかんない。)

 

だから、不幸(?)を他人のせいにしない。

他者に心をとらわれず「自分」に関心を向ける。

 

大切なのでもう一度

「みんなの幸せは僕の幸せ。」

 

 

お金を使いました。


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昨晩、出張先で職場の仲間と町へ繰り出しました。

 

日頃、数十円の値引きに一喜一憂している僕が、

お酒の力も相まって、3件のお店をはしごして地域に貢献してきました🎵

 

カラオケではしゃぎながら、

そこにはやけに冷静な自分がいて、

酩酊(めいてい)する仲間を見ながら、

「みんな、こんなに飲んで、大金使って大丈夫なのかな?」

などと、ふかん的にその空間にいました。

 

他人を評価しながら、自己の正当性を説く仲間と、

その場を取りつくろおと、やけにハイテンションに振る舞う僕

性欲をおり混ぜまながら、ゲームのように言葉を交わして。

 

タバコの煙にむせながら、

とても贅沢な時間を過ごせることにホントに感謝

 

以前は財布の中を見て青ざめていましたが

最近は後悔はありません。

なぜか、お金は必要としてそこに現れるから。

 

同じような経験を何度と繰り返しながら、

素直に今を味わいつくして、

優越感に浸ろうとする自分をいさめながら、

沸き上がる感情から自身の価値観にふれる。

 

たまには良いかな🎵

 

 

「ありがとう」って・・・


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年末年始は、これでもかと言うくらい

ゆっくり休ませてもらいました。

 

そんな中、

大晦日・元日の別なく、

世の中は普通に動いていました。

 

当たり前と言えば当たり前なのですが、

あげくの果てには、

「ありがとうございます🎵」って、

お礼の言葉まで頂く始末

 

ちょっとまってよ!

お礼を言いたいのはこっちの方ですよ!

確かに、お金を支払っているかも知れない。

 

でもね、「与えてもらっている」のは

あきらかにコチラ

 

あらためて言わせて頂きますよ!

「皆さん、有難う御座います。」

 

無味に過ごして。


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学生時代以来だろうか?

全く予定なく後悔に近い時間を過ごした。

コタツに足を入れたまま、

寝るともなく、起きるでもなく。

お腹もさして空かないけれど、

口寂しかったので乾燥いもと、カップラーメンで過ごす。

 

申し訳程度に、人混みに出てみる。

安に物欲と食欲を満たし、

外部から刺激をもらう。

帰宅してまもなくコタツでまどろみ、

気が付けば3日も経っていた。

 

ものすごく幸せな時間であったにも関わらず、

誰かに対して申し訳ない気持ちになる。

 

この3日間、なんでも出来たであろうに。

 

「後悔」は、自分に対しての失望か。

みたされて。


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2018の年明け

昨年からゆったりとした時間を過ごす。

 

温泉宿に宿泊したり、

美味しい玉子を頂いて、

雪かきしたり、

年賀状書いて、

忘年会して、

知人が昇任して、

お風呂で寝てしまって、

美味しいものを食べて、

無料で洗車してもらって、

ストーブが暖かくて、

お買い物して、

お部屋を清掃して、

犬と散歩して、

ランタンをもらって、

沢山の素敵なモノを誰かが作ってくれていて、

庭でくつろいで。

 

あ、でも不安なこともあったな。

飼っていたイモリが脱走しちゃった。

年賀状出し忘れた方がいる。

車の破損箇所そのままだ。

叔父さんに全く連絡していない。

お風呂汚してしまった。

玄関の吐血(どうぶつ?)はびっくりしたな。

忘年会、必要以上の失費かな?

職場へ行くと言いながら行かず。

 

でもね、良いんだ。

 

今、俺は幸せなんです。

 

これ以上に僕が「僕」に真剣に向きあったら、もっと幸せになってしまう。

 

他人に心とらわれて、

小事に心を病みながら、

過去を懐かしみ、

未来に期待して、

そんな今が一番幸せ。

 

 

感情


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昨日は怒りました。

攻撃を受けたと感じたからです。

 

ムカつきました。

圧倒的にやっつけて「参りました」と言わせたかったのです。

 

でも、相手の人が可愛そうだとも感じました。

僕自身も、あ、心の余裕がないんだなと感じました。

 

正直、まだ少しムカついてます。

 

相手には相手の正義があり、

こちらにはこちらの正義がある。

 

相手の気持ちもわかるけど、

こちらの気持ちを押し付けたい。

あわよくば、こちらの考えが正しいと認めて欲しい。

 

嫌われたくない恐怖心を、振り払うように、

「怒り」と言う感情を引っ張り出して、

言葉を荒らげてみる。

 

おっとっとだね。

 

みんな大丈夫なのにね。

 

何がしたかったんだろうね?

寂しかったのかな?

助けて欲しかったのかな?

 

「いちぬけた」

僕は僕の時間を過ごすよ。