kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

ついている。


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運が良いとか、悪いとか。

 

まるで自分の人生は、

自分以外の何かが気まぐれで運命を決めていると思っている。

 

でも実は、

ツキがある・ついているなどの本当の意味は

「ありのままを受け入れる。」と言うこと。

 

少し補足しておくと、

受け入れるとは、我慢する事ではない。

 

自分の良いと思うもの・感じるもの・わくわくすることに、関心をむける。

すると、

「嫌」と感じることが身の回りに起きなくなる。

すべてが満たされていて、

望むものがもうない・・・

いや、

望みはあるんだけどガツガツしなくて良い。

そんな感じ。

 

それが結果、「ついている。」となる。

 

全てを受け入れる。

ありのままで。

この世は、絶妙なバランスで成り立っている。

 

 

 

 

 

 

 

わくわくするのです・・・が、



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「わくわく」するんです。

たわいもないことで。

 

満足してしまうのです。

ありがたいと、感謝してしまう。

だって、求めるとそこにあるし、

思いもよらないことを次々と提供してくれる。

 

でもね、

毎日、不平不満の声を聞くんです。

そんな声を聞くと、僕も不安になるんです。

 

しばしば、不満を口にする人に対して

怒りすら覚えるんです。

 

ここなんです。

 

今の生活に不満がないのです。

それで良いのでしょうか?

 

不満がないのは、向上心や目的意識がないからなのでしょうか?

 

前記したように「怒り」はもちます。

不安をあおる人に。

認めない(否定する。)人に。

嘘をつく人に。

今を生きて・楽しんでいない人に。

 

だから、

結局自分に戻るんです。

自分が一番落ち着くんです。

 

でも、

僕と価値観が異なる他者がいないと、

この環境・居心地は得られないんです。

だから、感謝します。

 

かっこいい車に乗ったり、

素敵な家に住んだり、

美味しい料理を作ったり、食べたり、

日常の出来事に真剣に取り組んで涙したり・・・

 

そんな多くの他者に「感謝」するんです。

 

そしたら、また「わくわく」が~❗

( ノД`)…

 

 

今今の今


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写真は、テーブルにこぼれた水

面白いかたちになっていたので。

 

で、「今」の話し。

お袋は80歳を過ぎて独り暮らし。

叔父も80歳を過ぎて、こちらも独り暮らし。

しかも、時計店を今も営んでいる。

 

兄弟は、年が離れていて上の姉は10歳

長男にあっては一回りも年上

 

老齢によりこの先はどうなるか想像もつかない。

いや、予測は出来るな。

 

でも、考えない。

今だ検証中ではあるのだけれど、

この世の中の仕組みがそうであるならば、

先ず、不安はない。

 

結果、今今の自分を見れば、

世界情勢の不安も、

自然災害も、

通り魔的殺人事件も、

友人を装った詐欺にも出会っていない。

 

何もやりたくないとか、

欲求が消えたわけでもない。

 

ただ、「今」を切り取ると、不安がないだけ。

 

僕の職場は過去に学び、

未来を予測する仕事なのだけど、

それすらも本心は不要に感ぜられる。

不安の創造だから。

 

まだ勇気がなくて、試みてはいないのだけど、

この仕事を退いても生きては行ける。

 

何かの根拠がある訳ではないのだけれど、

大丈夫なんだ。

 

他者はもとより、

自身の老齢なども頭をよぎるのだけれど

まだ見ぬ未来や、

過ぎ去った過去に心をとらわれて、

「今」を見過ごすことはもったいないな。

 

頭がお花畑だと思われるかもしれない。

 

ただ、ほんとにこの世の中思いのままなんだ。

あまりにも出来すぎていて、幸運に躊躇(ちゅうちょ)してしまうのだけれど、これも悪い癖なんだなww

 

幸せを求めていながら、

いざ、幸せが訪れると自分には似合わないと受けとることを拒むんだ。

 

草を刈ってくれてありがとう。

庭の植物は葉を茂らせてくれてありがとう。

こんなところに住まい環境を提供してくれてありがとう。

 

僕の願いは、僕以外の人たちが叶えてくれる。

 

今はそれらの恩恵を、「他者」としか表現出来ないのだけれど、

たぶんこの世は奇跡的な何かで構成されている。

 

だから、確かめてみる。

「今」を。


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防御


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職場の環境がかわり、

つい一ヶ月前までに身の回りに在ったストレスがほとんど消え失せた。

 

ブログなど過去の記録を読むと、

当時の疲弊した僕の感情が呼び覚まされる。

 

その時の僕は「今、私は不幸である!」と宣言したのち、

それがいかに真実であるか、理由を集め始める事にやっきになってた。

多忙な環境を嘆き、

身近な他者に責任を負わせ、

自らの正当性を立証する事に全力を注ぐ。

 

思えば僕の過去はそんなことばかりに時間を割いていたな( ̄▽ ̄)ゞ

 

これも気付きの機会だったのだろうか?

 

結果、今は幸せしかない。

 

こんなことを口にすると家族からも

のんきで良いね、

もしくは

世の中そんなに甘くはないよ

的な空気を感じる。

 

でもね僕もやっと、この心持ちになれたんだ。

「今」幸せであることに気づけたんだ。

そして、穏やかな心持ちは更なる幸せを創造するんだ。

 

もっと早く気づけていたら良かったのだろうけど、

結果、全てが必要だったんだ。

 

知っている人や、

気付いている人から見たらなんともこっけいな姿だったろうね。

 

今、幸せである。

 

何故ならば、今、不安がないから。

 

 

 

咀嚼


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そのうち僕はタヒぬだろう。

肉体と言う意味で。

 

この世には、

学ぶため、知るため、経験するために生まれた。

 

40代のなかば、真理に近い情報が入り始めた。

 

現実には辛く苦しい事象が継続した。

がゆえに、どんどんその世界を知る機会が出来た。

 

そして、ひとつの真理である、

「全ては大丈夫」と言う心持ちを得られた。

 

お仕着せでなく、感謝や幸せを得られるようになった。

いつか幸せになるのではなく、

今が幸せであることに気づいた。

 

まだ、手に入れたい欲求か沢山ある。

わくわくする事ばかり。

 

このわくわくと、自我との関係は良くわからないのだけど、

全ては思いのままであること、

また、心からそれを信じることが先決

 

「願う。」は、

手に入れていない、満たされていないと同義

だから、今あるものに感謝をしつつ、

これらを活用する事に心を置いてそこから

わくわくすることが大切

 

嫌なこと、辛いことは無い・起きない。

自分で勝手にそのように解釈しているだけ。

 

また、お金のはなし。

今でも、何かを手に入れるためにお金が欲しいと思い、宝くじを購入するのだけれど、

それ以前に既に必要なお金は手元にあって、

結果、宝くじは当たらないけれど、

毎月給料はもらえるし、予期しない収入も沢山もらえる。

まだ、「不足」のおりが根底に沈んでいる。

でもふと省みればお金以上のモノを既に手に入れている。

 

だから、

だから、もう心配しなくて良いね。

不安にならなくて良いね。

怒らなくて良いね。

恨まなくて良いね。

嫉妬しなくて良いね。

否定しなくて良いね。

顔をしかめなくて良いね。

可愛そうだと思わなくて良いね。

慌てなくて良いね。

我慢しなくて良いね。

 

タヒぬ事は怖くなくて、

全ては想いのままで、

 

僕はこの世で自分を知り、

僕がこの世を創造する。

伝えてみた。


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ムスメが、学校から「負」の感情を拾ってきた。

 

かねてから、

悲観的だったりヒステリックな一面はあって、最近落ち着いたな~と思ったやさき。

 

幸い(残念ながら)私は不在で、

妻から事の相談を受ける。

 

妻も、ムスメにどっぷりと感化されている。

 

二人の共通の問題

 

ムスメは、友達が嫌い ・苦手と言う。

妻は、そんなムスメにイラつく。

 

お互い、相手・事象を変えようとしてイライラしている。

 

そんなこと出来ないのに。

 

二人に伝えたこと。

 

① 他者を変えることは出来ない。

② 全ての事象は、自らが望んだ事

  ムスメはもしかしたら、その事象を    解決したいしたいのかも知れない。

③ 矛先を相手に向けるのではなく、

  自分に関心を持つこと、気付いてあげること。

 

を、伝えた。

残念ながら、言葉は僕を離れた瞬間に相手のものになる。

 

僕も、アドバイスをした瞬間に相手より優位な立場となってしまう。

結果、相手を変えようとしていることに同じ。

ただ大事なのは、僕は僕がいごこちの良い選択をするだけ。

 

結果、翌日には問題解消

ムスメに笑顔が戻った。

 

生活する以上沢山の何かは起きる。

 

それは、仕方のないこと。

 

家族にも、この仕組みに気付いて欲しい。

って言うか、体験して僕に教えて欲しい。

 

せっかくいろんな事が体験出来るのだから。

現実なんだ。


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「現実」は、辛く厳しい。

そのように感じられるようになっている。

まんまと、僕もそう感じている。

 

今朝は、久しぶりに夢を見た。

夢は、とても理不尽なストーリーで

夢の中の僕は久しぶりに怒っていた。

怒りをあらわにしていた。

でも、結果夢だった。

 

「今」夢からさめて知覚出来る「現実」がある。

 

少し寒くて、

今からやる事があって、

やっていないことに不安を感じて、

時間を意識して、

少し面倒くさくて、

逃避するために引き寄せの本を読んで・・・

と、ふと思う。

 

あれ?まさに、今、この経験は、

奇跡とも言える何かの意思が、

「それ(これ)」を知るため、気づくため、

経験するために創造したもの?

自分と他が居て、

他とは、自分とは違うもので、

違うから自分と言う輪郭を知ることが出来て。

 

ここまでは良し。

 

もし皆がこの世の中の仕組みに気づけたら、

怒りが消えて

不安が消えて

この世の中の必要性も無くなってしまうのかな?

 

「今」テーブルの上の物は僕が置いたもの。

欲しいとして望んだもの。

頂いたもの、購入したもの。

自ら「作った」物はないな。

でも、結果「創造」したもの。

 

さっきまで必要だった物は、

今は不要なもの。

 

想って、言葉にして、歩いて(行動)今がある。

 

この世界が、

そのために、知るためにあるのならば、

今僕は全ての奇跡に今触れている。

そしてまだ、

今だ僕は全ての奇跡を知らない。