kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

夢・・・か。


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つい先日まで「夢」だと思っていたことが、

今はもう達成されている。

今までもそうだったのだろうけど、まるで魔法のようだ。

 

もはや、物欲に類することは「夢」とは言わないのかもしれない。

そうだね、物を手に入れることは「夢」ではないな。

 

それを得て感じる気持ち・感情が「夢」?

手にいれるまでの高揚感・わくわく

達成感なのか、優越感なのか、

総じて幸せと思える価値観・感情が夢なのだろう。

 

人生ってその繰り返し?

 

あれ?

なんだろうこの罪悪感のような感情は?

 

自分の欲求を叶えることを「夢」として満足していたのだけど、

ふりかえると何だか不安に感じるよ。

 

ここだな。

 

人は幸せになるため・あるためにあると言っているにも関わらず、

いざ、幸せを手にいれると罪悪感を感じるんだ。

 

大丈夫だよ。

みんながみんな、幸せでいいんだよ。

物欲を満たして行く事も幸せなんだよ。

 

しんどくなったら感謝しな。

 

本当にありがとうって、みんなに感謝しな。

 

ステキナモノ


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・・・僕以外のすべて

 

大丈夫、大丈夫


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心が穏やかであること。

例えれば、鏡のような水面(みなも)に自分の姿をうつしているように。

 

また、日常の事象に際しても、

無理矢理納得したり我慢するのではなくて

よく咀嚼して飲み込む感じ。

 

大丈夫だと安心してゆだねる感じ。

 

そして、今すでに幸せであると知ること。

目の前には、幸せの泉がこんこんと涌き出て、

天から落ちてくるものは、幸せしかない。

 

最後に、他者の価値観は関係ないと気付く。

それよりも「自分」の心に意識を向ける。

怒りや悲しみも同じ。

他者への感情にとらわれることなく、

自分の価値観に気付くための機会

 

世の中は、良いことも悪いこともある。

 

でも本当は、

「良いと思うこと。」と

「悪いと思うこと。」

自分がそのように解釈しているだけ。

ついている。


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運が良いとか、悪いとか。

 

まるで自分の人生は、

自分以外の何かが気まぐれで運命を決めていると思っている。

 

でも実は、

ツキがある・ついているなどの本当の意味は

「ありのままを受け入れる。」と言うこと。

 

少し補足しておくと、

受け入れるとは、我慢する事ではない。

 

自分の良いと思うもの・感じるもの・わくわくすることに、関心をむける。

すると、

「嫌」と感じることが身の回りに起きなくなる。

すべてが満たされていて、

望むものがもうない・・・

いや、

望みはあるんだけどガツガツしなくて良い。

そんな感じ。

 

それが結果、「ついている。」となる。

 

全てを受け入れる。

ありのままで。

この世は、絶妙なバランスで成り立っている。

 

 

 

 

 

 

 

わくわくするのです・・・が、



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「わくわく」するんです。

たわいもないことで。

 

満足してしまうのです。

ありがたいと、感謝してしまう。

だって、求めるとそこにあるし、

思いもよらないことを次々と提供してくれる。

 

でもね、

毎日、不平不満の声を聞くんです。

そんな声を聞くと、僕も不安になるんです。

 

しばしば、不満を口にする人に対して

怒りすら覚えるんです。

 

ここなんです。

 

今の生活に不満がないのです。

それで良いのでしょうか?

 

不満がないのは、向上心や目的意識がないからなのでしょうか?

 

前記したように「怒り」はもちます。

不安をあおる人に。

認めない(否定する。)人に。

嘘をつく人に。

今を生きて・楽しんでいない人に。

 

だから、

結局自分に戻るんです。

自分が一番落ち着くんです。

 

でも、

僕と価値観が異なる他者がいないと、

この環境・居心地は得られないんです。

だから、感謝します。

 

かっこいい車に乗ったり、

素敵な家に住んだり、

美味しい料理を作ったり、食べたり、

日常の出来事に真剣に取り組んで涙したり・・・

 

そんな多くの他者に「感謝」するんです。

 

そしたら、また「わくわく」が~❗

( ノД`)…

 

 

今今の今


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写真は、テーブルにこぼれた水

面白いかたちになっていたので。

 

で、「今」の話し。

お袋は80歳を過ぎて独り暮らし。

叔父も80歳を過ぎて、こちらも独り暮らし。

しかも、時計店を今も営んでいる。

 

兄弟は、年が離れていて上の姉は10歳

長男にあっては一回りも年上

 

老齢によりこの先はどうなるか想像もつかない。

いや、予測は出来るな。

 

でも、考えない。

今だ検証中ではあるのだけれど、

この世の中の仕組みがそうであるならば、

先ず、不安はない。

 

結果、今今の自分を見れば、

世界情勢の不安も、

自然災害も、

通り魔的殺人事件も、

友人を装った詐欺にも出会っていない。

 

何もやりたくないとか、

欲求が消えたわけでもない。

 

ただ、「今」を切り取ると、不安がないだけ。

 

僕の職場は過去に学び、

未来を予測する仕事なのだけど、

それすらも本心は不要に感ぜられる。

不安の創造だから。

 

まだ勇気がなくて、試みてはいないのだけど、

この仕事を退いても生きては行ける。

 

何かの根拠がある訳ではないのだけれど、

大丈夫なんだ。

 

他者はもとより、

自身の老齢なども頭をよぎるのだけれど

まだ見ぬ未来や、

過ぎ去った過去に心をとらわれて、

「今」を見過ごすことはもったいないな。

 

頭がお花畑だと思われるかもしれない。

 

ただ、ほんとにこの世の中思いのままなんだ。

あまりにも出来すぎていて、幸運に躊躇(ちゅうちょ)してしまうのだけれど、これも悪い癖なんだなww

 

幸せを求めていながら、

いざ、幸せが訪れると自分には似合わないと受けとることを拒むんだ。

 

草を刈ってくれてありがとう。

庭の植物は葉を茂らせてくれてありがとう。

こんなところに住まい環境を提供してくれてありがとう。

 

僕の願いは、僕以外の人たちが叶えてくれる。

 

今はそれらの恩恵を、「他者」としか表現出来ないのだけれど、

たぶんこの世は奇跡的な何かで構成されている。

 

だから、確かめてみる。

「今」を。


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防御


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職場の環境がかわり、

つい一ヶ月前までに身の回りに在ったストレスがほとんど消え失せた。

 

ブログなど過去の記録を読むと、

当時の疲弊した僕の感情が呼び覚まされる。

 

その時の僕は「今、私は不幸である!」と宣言したのち、

それがいかに真実であるか、理由を集め始める事にやっきになってた。

多忙な環境を嘆き、

身近な他者に責任を負わせ、

自らの正当性を立証する事に全力を注ぐ。

 

思えば僕の過去はそんなことばかりに時間を割いていたな( ̄▽ ̄)ゞ

 

これも気付きの機会だったのだろうか?

 

結果、今は幸せしかない。

 

こんなことを口にすると家族からも

のんきで良いね、

もしくは

世の中そんなに甘くはないよ

的な空気を感じる。

 

でもね僕もやっと、この心持ちになれたんだ。

「今」幸せであることに気づけたんだ。

そして、穏やかな心持ちは更なる幸せを創造するんだ。

 

もっと早く気づけていたら良かったのだろうけど、

結果、全てが必要だったんだ。

 

知っている人や、

気付いている人から見たらなんともこっけいな姿だったろうね。

 

今、幸せである。

 

何故ならば、今、不安がないから。