kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

せるふちぇっく


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「50」と言う数字が近づいてきた。

精神面の成長は全くないのにねww

 

子供たちの成長も早い。

ずいぶんと見過ごしたり、取りこぼした時間があるな。

 

好奇心の質も変わってきた。

あらゆる欲求が「居心地」につながってる。

 

ただし、幼い頃から根底にある「いいかっこし」は、どの好奇心にも潜んでいて、

他者の評価は、常に意識してしまっている。

 

体力面の衰えは、少なからず・・・

いや、かなり感じるな。

「いつかやる。」として、今まで何もしていないのだから、このままなのかな?

 

経済面は人並み以上だろう。

困窮や逼迫(ひっぱく)はしていない。

 

今、欲しいと思ったものはほとんど手に入る。

ただ、手を伸ばさない。

 

雑誌やネットから様々な刺激を受け、

高揚するのだけれど、安穏と過ごす。

 

そのくせ、宝くじが当たって、

大金を手に入れたならと、未だに無味な空想にふける。

 

ここだな。

 

もし、経済や人間関係、社会的な地位の一切を心配することなく行動したら、

僕は何をするんだろう。

 

部屋のなかに居たら、外に憧れて

外に居れば、部屋のなかを想う。

 

時計の秒針を見ながら、

過ぎて行く時の量を数えて、

残された時間を憂う。

 

欲しいのは安息、

平穏な日常

解決可能な悩み

 

今、この世を去るとしたら未練はあるかな?

 

今、タヒねるか?

経済やしがらみがなかったら、何をするのか?

 

久しぶりの独りの時間

 

少し誰かに会いたくなった。

 

 

無理をしているのでしょう。

夢が叶わないと思っている。

 

夢は、いつか手にすることが出来る、

努力の上の、遥か未来にあるもの。

それは、手にすることが出来ないかもしれない。

 

報われない。

理不尽

我慢

嫌われたくない。

 

違う。(-д- 三 -д-)

 

今、夢は叶っていて、

不安やいらだっているのは、

自分に嘘をついている・自分の気持ちと違うことを選択しているから。

 

目も前には常に幸せになる選択肢があって、

幸せになるには、遥か未来の何かを選択するのではなく、

今、目前にある小さな選択を繰り返すだけ。

 

そして、「夢」とは幸福感で、

でも、妥協ではなくて、

他者の価値観やお仕着せでもなくて、

そして幸福感は今、簡単に手にすることが出来る。

 

それは自ら、今を選択するだけ。

思考が止まった。


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沢山お酒を飲んだからでしょうか?

暑さのせいでしょうか?

久しぶりの雨のためでしょうか?

それとも、小さなトゲのような後悔があったからでしょうか?

少し面倒な仕事があったからでしょうか?

老いてきたからでしょうか?

「思考が止まって」います。

 

僕は今、間違いなく満たされています。

もしかしたら、

退屈なのでしょうか?

 

沢山の方々が努力しています。

そしてむくわれません。

怒っています。

悲しんでいます。

 

もしかしたら、満たされている事への

「罪悪感」なのかもしれません。

 

そんな暇があったら、感謝しましょう。

心のそこから感謝しましょう。

 

そして、今を味わいつくしましょう。

 

 

 

 

はんすうする。


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「思考は現実化する。」これは真理です。

 

先ず、

俗に言われる「神」の世界は、結果「無」です。

よって、「他」が存在しません。

ゆえに、「我」を知ることが出来ません。

 

そして、俗に言われる「神」は、「我」を知るために、この現世を創造しました。

(七日間で創ったらしい。)

 

ここから、完璧なまでに計算された「現世」の体験が始まりました。

 

生命と言う創造物は本能により行動します。

そこに「苦痛」と「快楽」を与えられて、

「感情」が発生しました。

そして、その感情から「自我」が発生します。

 

自我は学びます。「苦痛」と「快楽」を。

 

そして、完璧なまでに神であった頃の我を忘れ、この現世に没入します。

喜び、悲しみ、感謝します。

 

しかし、一部の人のなかに過去の「我」を知る者が生まれます。

 

それは、仏陀であり、キリストであり、ムハンマドでした。

 

彼らは説きました。「我を信じなさい。君らは今も神であり、神とつながっている。」と。

しかしながら大衆は、「我」を自分自身ととらえず、

「我」と発した、彼らに真理を求めました。

これが宗教です。

 

宗教の教えにより真理に近づく事は出来ます。

ただし、

気付いた者、

近づいた者、

気付かない者は、それぞれに「今」を解釈しながら、

それぞれの正当性を他者に説きます。

そして、集います。

そして、争います。

 

「我」の正義のために。

意見は、交わることはありません。

 

良いのです。そもそも目的は我を知る機会なのですから。

 

そして現在、科学や心理学・哲学はそれぞれの解釈で「真理(オリジン)」に近づきました。

 

そして、ひとつの仮説にたどり着きます。

 

この世は、魂のバーチャル空間として、

いくつかの、制限を持ってこの世に誕生し、

悩み、悲しみ、喜び、死んで行く・・・・

 

何万回、何億回とこれを小分けされた神が体験し、今、その経験が最終段階にあります。

 

そして、この仕組みをいち早く理解した者たちは、この世にはそもそも不安などないことに気づきます。

 

その、理解とは、

「この世は、自らが創造したもの。」であること。

 

これにより、不安を手放し、

自らの想いにのみ感情をゆだねると、

(不安を手放すと、)

そこにはある意味「夢」のように現実がもたらされます。

 

気づき、引き寄せ、エンジェルナンバー等にあるように、 この世は思いのままであることに気づきます。

 

いよいよですね🎵

 

もう、終わりが近づいて来ました。

 

多くの人が、自分自身が実は「神」であった事に気づいてしまったのですから。

 

さて、今日はここまで。

 

 

 

 

夢・・・か。


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つい先日まで「夢」だと思っていたことが、

今はもう達成されている。

今までもそうだったのだろうけど、まるで魔法のようだ。

 

もはや、物欲に類することは「夢」とは言わないのかもしれない。

そうだね、物を手に入れることは「夢」ではないな。

 

それを得て感じる気持ち・感情が「夢」?

手にいれるまでの高揚感・わくわく

達成感なのか、優越感なのか、

総じて幸せと思える価値観・感情が夢なのだろう。

 

人生ってその繰り返し?

 

あれ?

なんだろうこの罪悪感のような感情は?

 

自分の欲求を叶えることを「夢」として満足していたのだけど、

ふりかえると何だか不安に感じるよ。

 

ここだな。

 

人は幸せになるため・あるためにあると言っているにも関わらず、

いざ、幸せを手にいれると罪悪感を感じるんだ。

 

大丈夫だよ。

みんながみんな、幸せでいいんだよ。

物欲を満たして行く事も幸せなんだよ。

 

しんどくなったら感謝しな。

 

本当にありがとうって、みんなに感謝しな。

 

ステキナモノ


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・・・僕以外のすべて

 

大丈夫、大丈夫


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心が穏やかであること。

例えれば、鏡のような水面(みなも)に自分の姿をうつしているように。

 

また、日常の事象に際しても、

無理矢理納得したり我慢するのではなくて

よく咀嚼して飲み込む感じ。

 

大丈夫だと安心してゆだねる感じ。

 

そして、今すでに幸せであると知ること。

目の前には、幸せの泉がこんこんと涌き出て、

天から落ちてくるものは、幸せしかない。

 

最後に、他者の価値観は関係ないと気付く。

それよりも「自分」の心に意識を向ける。

怒りや悲しみも同じ。

他者への感情にとらわれることなく、

自分の価値観に気付くための機会

 

世の中は、良いことも悪いこともある。

 

でも本当は、

「良いと思うこと。」と

「悪いと思うこと。」

自分がそのように解釈しているだけ。