kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

ブレイクスルー


f:id:kokorobukuro:20200314064549j:image

 

やっとだね、この感情にたどり着けた。

今まで体験したことのない達成感・・・・

 

決して、何かを手に入れた訳ではないのだけれど、慌てず穏やかでいられる。

 

今までと何ら生活には変わりがない。

まさに「自分が変わる。」感覚

 

マトリックスの主人公が覚醒した時のような爽快感

 

「思いのまま」とても大事な言葉だった。

 

周りは次々と変化して、僕に達成感や優越感を与えてくれる。

まるでセロ弾きのゴーシュみたいに、次々と僕に問いかけて来る。

 

そして達成

今までストレスだったモノゴトは、全て消えてゆく。

 

もはや、不安はないのでは?

 

以前から、そのような言葉を多様してきたのだけれど、

今まではどちらかと言うと無理やり使っていた感覚

 

それともこれは一時の悦状態なのか?

 

少なくとも今は波に乗れている。

 

 

 

満たされているうちに・・・


f:id:kokorobukuro:20200128212416j:image

現在、検診・入院中

「節目」としてこの機会、

非日常を満喫している。

 

情報(仕事)からの隔離

まったくもって、ストレス要因がない。

そして、物理的な休養とデトックス

 

日頃お休みはあるけど、何かしら動いているし、何かしら考えているし、誰かしらの干渉はあるから、これほどの休養はないよね。

ためていた読書も出来るし。

 

こんな甘味な感覚は長くは続かないだろうけど、ほんとに休養出来ている。

ありがたい。

 

これも今までこの組織に帰属してきたから?

あれほど、いやいや言ってたのに♪

 

成長の過程で道徳とか、自己啓発とか、

あるべき姿とかいろいろ思ってきたけど、

僕はほんとは怠け者なんだ。

今回はそんな自分に気がついた。

 

ええ格好しいなので、その空間の最良を選択して来たけれど、結果、僕にはそれほどの器量がなかった。

 

また、真理の深淵に触れれば触れるほど、この経済社会の違和か強くなってしまう。

 

いわゆる成功者ではないけれど、間違いなく「幸せ者」であろう。

 

そう、「幸せ」

僕は何にもしていないのにね。

 

ありがとう。

お金の事とか、生きる事とか


f:id:kokorobukuro:20200122023504j:image

手に取った本にお金と時間・働く事について書かれていた。

少し気になって検索してみたら、やはり同じことを唱えている方々が沢山居た。

 

「お金」は「時間」を提供することの対価

お金の無い人は、自分の時間を与えて収入を得る。

時間の無い人は、お金を支払って時間を確保する。

 

そんな意味あい、

 

たぶん、そうなのだと思う。

ただし、僕としてはこれに「感謝」を加えて欲しい。

 

昨日の日常を見ても、全てが他者の努力・恩恵の上に成り立っている。

どれ一つとして自己完結出来たモノなどない。

だから僕はお金を支払う側だ。

と、同時に勤め人として給与も頂いている。

 

ここ。

 

今のお仕事、僕自身は何も提供していないのだけれど、会社としては社会に何らかの貢献をしているらしい。

僕はその会社に帰属し、僕の「時間」を提供することで給与を頂いている。

 

コンビニのアルバイト時給が900円前後

同じ時間の提供なのに、僕の方がはるかに高額な給与を頂いている。

どうしてだろう?

 

頂いた給与は、僕が出来ない事をやってくれている企業・人に支払っている。

 

あらためて、この世は複雑だと思う。

そして、よく出来ていると思う。

世の中、全てが収まっている。

海の波は高いところも低いところもあるけど、海水の量は変わらない。

 

自分に時間が無いのなら他者にお金を支払えば良い。

 

お金が無いのなら、自分の時間を提供すれば良い。

ただし気付いて欲しい。

いわゆる「お金持ち」は、自分の時間を豊かに過ごしていることを。

時間を提供すれば富豪になれるわけでは無い。

自分の時間を過ごすことができる人は、豊かに生活が出来ると言うこと。

 

わからない?

わからないよね、だって、ほとんどの人がお金を稼ぐことを目的としているから。

 

この世は体験するためにある。

この世には知るために生れた。

この世は自ら創造したもの。

 

人生は幸せになるためにある。

人生は幸せであると知る。

 

ホントは、世の中何をしても大丈夫に出来ていて、

お金がために、その目的を失してしまうのだけれど、

実は「今」が幸せで、

「今」しか、時間は存在しない。

 

だから、意識を「今」に向ける事で、おのずと豊かに過ごすことが出来る。

 

お金が良い例だが、お金を手に入れると幸せになれるわけではない。

 

今、幸せを感じることが出来れば、結果お金も手に入れる事が出来る。

 

そんな事をあらためて創造しました。

津留晃一さんの言葉


f:id:kokorobukuro:20191210043800j:image

今まで多くの言葉に出会い、それなりに理解していたつもりで日々を過ごして来たのだけれど、

先日、フェイスブックであらためて津留晃一さんの言葉に出会いました。

 

これもまた、はじめて触れるモノではなかったのですが、

あらためて読み返してみると、

「あぁ、真理は既にここに書いてあった。」と、思えるモノになっていました。

ずいぶん遠回りしたようです。

 

今まで小さな気付きを書きつらねてきましたが、今一度その言葉を整理してみます。

そう、例えれば写経?ですかね?

便利な世の中になりました。

 

【意識の焦点】

 

「やらなきゃ、私がやらなきゃ」
という思いがなかなかはずれません。

 

はずれたと思うたびに、

まだその奥からもっと細かな

「やらなきゃ」が顔を出してきます。

 

そしてこの思いをはずそうとするたびに、
強迫観念が上がってきます。

 

「何かしよう」とするのが

自我の役割だと思い込んでいるからです。

その思いこみさんが猛烈に抵抗してきます。

自分の消滅を恐れています。

 

どうぞそんな自我さんに光を贈ってあげて下さい。

 

焦点を絞って自我に意識を向け続けていくと
その想念がやがて燃え始めます。

昇華を始めます。

 

今、あなたの世界に欲しくない現実があり、どうしてもその理由がわからないときは、

この「やらなきゃ」の想念をチェックしてみて下さい。

 

まだ密かにあなたを動かしている恐れがそこに潜んでいます。

あなたが「やる」必要はありません。

結果をこの世界へ映し出すのは、

自我であるあなたの役割ではないからです。

 

内なる力が現実を産み出します。

 

あなたのすることは心に心象を描く事であり、

結果を得ようと頑張る事ではありません。

 

あなたが頑張るのは
「やらなきゃ結果がでない」

という考え方を持っているからです。

 

結果を得たいのであれば、心を空っぽにすることです。

今のあなたにとってもう役に立たなくなった
考え方を手放すことです。

 

どうぞ安心して役に立たない考え方に意識を向けて下さい。

 

一人で静かなときを持ち、
まず一番幸せな自分を感じてあげて下さい。

 

幸福感が心にやってきたら、
「やらなきゃ困ったことになる」という考え方に意識の照準を合わせ、光を贈り続けて下さい。

 

その想念がゆっくりと消えていき、

あなたを動かす力をなくしてしまうことに
気がつくでしょう。

 

あなたは悟りたいのですか、

それとも
幸せになりたいのですか。

ちょっと感じてみて下さい。

 

もし悟れたら幸せだと考えているのであれば、

あなたが幸せになるには条件が付いている
ということになります。

 

もし幸せが目的であるなら、幸せそのものに
意識の焦点を合わせて下さい。

「今この瞬間、自分は幸せを感じているか」に。

 

今、少しだけ気になることがあるのでしたら、それは幸せを感じてあげた後にしたらどうでしょう?

 

気になることが無くなってから幸せになろうとするのではなく、

今みたされているモノに意識を向けてみて下さい。

すぐに感謝の気持ちとともに何とも言えない幸福感が上がってきます。

 

心配は自我さんの役割ではありません。

何故なら結果を創っているのはハイヤーセルフさんなのですから。

心配ならハイヤーセルフさんに任せておいて下さい。

 

もし欲しい結果があるのでしたら、それが既に手に入ったときの喜びを感じてあげて下さい。

それが自我さんのすることです。

 

究極の目的にだけ意識の照準を合わせ続けて下さい。

そうすればそれは必ずやってきます。

 

そうなっていないと言うのなら、自分の意識の焦点がどこを向いているのかにもっと気を配る必要があります。

 

悟りの方にばかり意識が向いてはいませんか? 

自我の幸福感にとって、悟りはその手段に過ぎません。

手段もハイヤーセルフの担当です。

余分なことはどんどん任せてしまいましょう。

余った時間は自我の生態観察に使ったらどうでしょう。

結果にばかり意識を向けてはいませんか?

想念観察をしていればすぐにその事に
気がつくはずです。

あなたが気にしている結果は、必ずしもあなたを幸せにしてくれるモノではありません。

 

欲しい結果を手に入れるという事は、

それを無くした時の不安も一緒に手に入れるという事です。

不安は持っているモノにしかついていません。

「病気になったらどうしよう」と、 健康であることが不安の原因です。

「彼を失ったらどうしよう」という心配も
彼のいない人にはありません。

そして、思わしくない結果が現れたとしても

そんなことを気に止める必要はありません。

結果は消えていくのですから。

 

しかしあなたの中に描いている想念は、

あなたが消さない限り消えません。

そして又現れてきます。

 

彼から「別れて」と伝えられたとしても、

どうしようと動揺する必要はありません。

それは単なる結果です。

まだ別れると決まったわけではありません。

「あのとき、ああ言ったのが悪かったのかしら」とか、

「あの時のあの態度がいけなかったのかしら」と

自分の態度や、言葉を反省してしまいますが、そんなことは何の足しにもなりません。

「他に好きな人が出来たのかしら」などと

すぐに外側にその原因を探し始めます。

 

自我は五感を通じて外側の世界とつながっているからです。

彼から言われた一言にフォーカスしてしまっていることに気付いて下さい。

 

愛する人がいるという一番大切な事からフォーカスがはずれてしまっています。

 

あれこれ思い煩っている間中、あなたの意識は自分のマイナスサイドへのみ焦点を絞っている事に気付いて下さい。

 

どんどん悪い方を顕在化させているわけです。

意識の働かせ方に注意して下さい。

もし別れたくないのであれば、自分の中の心象をチェックして下さい。

別れるイメージを持っていなかったか。

友達の失恋話を握りしめていませんか? 

恋とは終わるモノだという妄想を信じ込んではいませんか?

 

たくさんの役に立たない想念がゴロゴロ出てくるはずです。

一つ一つを丹念に手放しましょう。

自分には愛する人が存在しているという喜びに意識を向けて下さい。

その至福感を使って役に立たない想念に意識を向けていきます。

 

一つの想念が切り離されるのに5分とかからないでしょう。

これが原因に対処するということです。

 

あなたの本質はエネルギー使いです。

何かに意識を向けるという行為は、

そこにあなたの生命エネルギーを分配するということです。

 

自分が今何に意識を向けているのかに気を配って下さい。

 

どうぞ心配なんかに心を配らないで下さい。

心配とは起きてもいない非現実にあなたの生命を注ぎ込むという行為です。

 

あなたは宇宙生命の子供として、親の持っている力の100%を引き出す能力をお持ちです。

 

悟った人がこの力を使えるというのは誤解です。

今この瞬間もあなたは自分が意識を向ける
という行為を通じて、この無限のパワーを
あらゆるモノに分配し続けています。

 

そして過去のエネルギー分配の結果が
あなたの今の現実です。

物理的に彼がいることは幸せの手段に過ぎません。

彼がいるから私は幸せなのだというのは
全くの誤解です。

自分の幸福感がどこからやってくるのかを
観察して下さい。

今あなたが幸せなのは自分の心の中に
「私には愛する人がいる」という考え方があり、それこそがあなたの幸せの真の原因です。

そして愛する人がいなくなると思い込んだ瞬間からあなたは苦しみを体験し始めたはずです。

あなたは「別れて」という彼の言葉を聞いただけに過ぎません。

彼があなたに向けてなんと言おうと、

あなたがあなたの意志以外で愛する人を失うことはありません。

「別れて」と彼から言われたときにあなたのとる態度は、

「ああ彼はそういう思いを持っているのだ」という事を単に理解すればいいだけのことです。

あなたがその言葉を自分の心の中に受け入れたとき、初めてそれは現実として立ち現れ始めます。

この感覚は、今は少し難しいかもしれませんが、見えている世界は単に自分の五感で感じ取る宇宙に過ぎないと実感したときにはっきりと解るでしょう。

 

どうぞあなたが本当に手に入れたいモノそのものに意識を向けて下さい。

幸せの手段にではなく、今自分がここにいる喜びを感じてあげて下さい。

 

自分には初めから全てが与えられていたという喜びをかみしめて下さい。

宇宙の神秘を感じて下さい。

自然の美しさを、
満天の星を、
オレンジ色に焼ける夕日を思い出して下さい。

川のせせらぎの音を、
無邪気な子供の寝顔を、

そしてたった一つの細胞から産み出される完璧な人体の神秘を思って下さい。

 

自分にそんな時間をプレゼントしてあげて下さい。

こんな至福を味わうことによって、あなたの現実が変わってきます。

 

あなたがそこにある喜びに意識の焦点を合わせ続けている間、

あなたはそれと同等の喜びを今創造し続けているという事です。

幸せになるとは、こんなに簡単なことなのです。

 

これは空想なんかではありません。

これこそが創造行為です。

あなたは宇宙の歓びをこの地に引き下ろすために、今その肉体を持ったのだという事を思い出して下さい。

 

あなたが忙しくしていれば、宇宙はあなたが「やらなきゃ」と思っている通りの現実を
プレゼントしてくれます。

あなたが望む幸せは、あなたが「やる」ことによって

プレゼントされるわけではありません。

どうぞ喜びに意識を向ける時間を創って下さい。

もし至福の時間を自分自身にプレゼントし続けたら、

毎日1時間から2時間、自分にそんな時を持つことを許しさえすれば、今のあなたにとってふさわしくない現実という名の幻影はガラガラと音を立てて崩壊していくことでしょう。

宇宙の摂理によって、自然崩壊していきます。

そしてあなたの望む現実がやってきます。

まだ望んでもいないというのに。

「あっ、こんな現実が欲しかったのだ」と気付きます。

そして自分は初めからこんな現実を欲していたのだ、そんな思いが自分の深いところに初めからあった事に気付きます。

 

と、ここまで読んでもあなたの自我は

まだ自分の「やる事」に意識を向けてはいませんか?

きっとそのはずです。

そしてあなたは又つまずきます。

苦しんで苦しんで、
「自分はもう頑張らなくてもいいのだという事は知っている」つもりになっているあなたは、何でこうなるのか解りません。

これこそが自我の核です。

自我は簡単には自分の存在証明を手放しません。

その為に自我さんにあなたの奥底に眠っている、ただ初めからそこに存在していた至福感を覗かせてあげる必要があります。

それゆえ昔から多くの人が瞑想をやってきました。

自分の究極の存在にふれるために・・・。

自分の現実の中に存在の至福感を引き上げるためにです。

自分が努力して得た歓びよりも、ずっと素敵な喜びが自分の中にあることを知ってしまえば、どんな自我さんももう頑張らなくなってしまいます。

それまでは自我さんは頑張ります。

「頑張らなくても良い」と知ることによって
自我は静かになります。

ですがそれは以前に比べて静かになっているだけです。

あなたの中であなたの自我はまだ頑張っています。

頑張りのエネルギーが低くなっただけでそのレベルでまだ頑張っています。

そして又苦しみの体験を味わいます。

その体験により、自我はもっと頑張らなくなってきます。

そして又そのレベルで新たな体験を味わいます。

これが進化のプロセスです。

自我が完全に沈静化したとき、あなたはこの地球で肉体を持つ意味を失います。

生活の中でもっと意識を働かせて下さい。

自分が本当に欲しているモノは何か?

そこに意識を注いで下さい。

いつも生きるための手段に意識を向けている事に気付いて下さい。

幸せのための手段に意識が向いていることに
気付いて下さい。

手段は自我さんの役ではないことを思い出して下さい。

自我の働きそのものに意識を向け続けて下さい。

それが想念観察です。

自我の生態観察です。

そして自我の発するどんな想念も、決して批判することなく

祝福を贈り続けて下さい。

自我のとるどんな態度にも判断を下さず、感謝の愛念を贈ってあげて下さい。

その度に自我さんはまん丸に満たされていきます。

満腹になった自我さんはもう頑張らなくなってしまいます。

あなたが人に意見を主張したくなった時、

あなたは自分の正しさに意識をフォーカスしています。

あなたが自分の正しさの方に意識をフォーカスした時、

相手はその反映として、あなたがフォーカスしている反対サイドに意識をフォーカスさせます。

正しさがあればその反対サイドが生じます。

宇宙の中心は一つですから、
あなたがワンサイドに意識を偏らせた時、

相手はその対局サイドに意識を偏らせ

あなたの宇宙はバランスされています。

自分を主張したくなったら、
即座にこの原理を思い出して下さい。

その上で、展開される議論の中で

自分の感情がどう揺れ動くのかを
体感して下さい。

さんざんやり尽くした時、もう真ん中へ帰ろうという意志が生じてきます。

 

その時あなたは他人とは議論しない人となります。

瞬間に相手に同情がもてるようになっています。

相手の正しさが自分の正しさと思えるようになってきます。

自と他の統合です。

 

あなたの世界から正しさが消える瞬間です。

 

そんなあなたはもう集合意識そのものです。

 

自分の考えなのか、誰の考えなのかさえ

あなたの中で区別が消えてしまいます。

 

意識の焦点に気を配って下さい。

 

自分がどこに意識の焦点を結ぶか、
その選択があなたの人生です。

 

あなたが意識を向けているところが現実です。

人間とは、
自分が意識を向けているところを五感で感じている生物です。

あなたが感じ、味わっているところに、全宇宙である、
あなたの意識が焦点を結んでいるのだと知って下さい。


意識を働かせようとする想念が純粋思考です。
この思考の力を使って我々は次元の壁を突き抜けます。


思考こそがエネルギーだからです。

【最近の出来事】


f:id:kokorobukuro:20191120061602j:image

 

当たり前なのかも知れない。

もしくは、こじつけかも。

 

でも、

でもね、

余っていた布は、電子ピアノのカバーになったし、

物欲のたぐいでは、

革靴は驚くほど安く買えたし、

ウッドデッキもあのタイミング。

高圧洗浄機も突然の登場

扇風機もしかり。

床コンセントもそうかな?

「欲しい」と思ったモノは、ほとんど出現している。

 

たぶん次は、自動車かな?倉庫かな?

これも、僕の予想をはるかに越えたかたちで現れるだろう。

 

まだまだある。

煉瓦を組めばシンデレラフィット

家族のイベントも事なく進む。

 

あげくの果てには時間すらも思い通り。

忙しいと思えば、時間はないし、

ゆったりと過ごせば、時間が余る。

 

宝くじ当てたいと思ってたら、

それ以上に、なんやかんや享受されている。

 

全てを創造している。

 

言い過ぎ?

世の中甘くない?

 

世界は紛争や災害ばかり?

 

今、ふと嫌な気持ちになった。

でもね、今の僕は幸せ。

 

ほんと、ほんとなんだよ。

 

ありがとう。

 

 

 

さとり


f:id:kokorobukuro:20191011051950j:image

さとり・

苦行を積んだ行者だけが得るものではなく、

もっとシンプルな日常の気付き。

 

引き寄せの法則も、

あの世とこの世の仕組みも、

今ある言語としては、ほぼその輪郭をとらえている。

 

でも、僕は活用しきれていない。

日常のそれらは、とても複雑で難解で、

自ら望み、創造したものとは思えないから。

 

そんな日常で、これらを試みるための事象で分かりやすいのが、

① お金とのかかわり

② ムカつく出来事、悲しい出来事に対する心の置き方

です。

 

① 先ずは「お金」

お金はツール、道具、社会の潤滑剤・血液

これに心を奪われ、お金を第一に生きると、

先ずは「幸せ」が遠のく。

 お金は、「感謝」の意を、労働や物資で返せないためもお礼の証

 このルールを逸脱しなければ、いくらお金を支払っても、自分に必要なお金が無くなることはない。

 

② 次に、ムカつく出来事、悲しい出来事に対する心の置き方

 そのほぼ全ては、日常の対人関係から発生します。

 でもこれは、自ら望んで起きた事象

多くの場合、怒りや悲しみの原因を他者に求めるのだけれど、

これは誤り。

怒りや悲しみなど、自分が望まないような事象に触れたら、

「自分」の価値観・あるべき姿にフォーカスして。

 

怒りの源(みなもと)は?

悲しみの源は?

 

そして、自分はどうありたいのか?

 

自らへの関心が希薄になったとき、

これらの事象は起こります。

他者にばかり関心をよせて、

自身の価値観をお座なりにしているから。

 

この時期、人は風邪を引きます。

それは、体が疲れているから。

このときに、この警告を無視して、無理に活動したりすると、症状がどんどん悪化します。

風邪を引いたら、休んでください。

 

僕は、こんな知った風な事を綴ってはいますが、

なかなか、自分に応用しきれていません。

 

ただ、ここ5・6年でしょうか、

以前と比べ、かなり穏やかに過ごせるようになりました。

 

僕のキーワードは「ゆだねる」

今、できうる限りの思考と行動を取ったら、あとは「ゆだねる」

 

諦めるとは違います。

 

安心の中にあること思う。

過去も未来もない。

不安はない。勝手に自分で不安に感じているだけ。

 

そんな心持ち、心の置き方をするだけで現象が変わることを体感しています。

 

その結果として、いくらお金を使ってもお金が無くならない。

大人になって使い方が変わっただけかもしれません。

今はサラリーマンですので、毎月給与支給されているだけですが、

なんだか、毎月宝くじが当たっているような心持ちです。

 

おっと、文章が暴走してきましたね。

 

これからも日常を丁寧に過ごします。

すべてに感謝します。

そして、すべてをゆだねます。

 

 

 

 

 

【雑感】


f:id:kokorobukuro:20190919221515j:image

すべてが、いとおしい。

ほんとは、もっと一つ一つの所作を丁寧に行いたい。

 

素敵な情報・モノが沢山♪

でも、必要で欲しくて手に入れたはずのモノが、いつの間にか必要なくなっている。

 

もったいないから、思い出だからと

それらを持ち続けると、

やがてそれらのモノに時間を奪われてくる。

 

今も常に新しい欲求にさいなまれてはいるのだけれど、

本当に必要なモノはそれほど多くない。

 

今まで手に入れることを目的としてきたけれど、

今度は「手放す」事にワクワクしている。

精査された選りすぐりのモノや情報

ただそれは、高価なモノとかではなくて、

僕の心を満たしてくれるモノ・・・

 

間もなく、50

手放すモノの中には「若さ」も含まれる。

 

アンチエイジングで、若さを維持することも大切だケド、

若さをあきらめて、上手に手放すことも大切

少しずつ若さをあきらめる。

 

そんな心持ち