kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

生と死、そして生きると言うこと。

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誰もが迎える「死」
自らもやがて、あるいは明日突然にこの世を去るやも知れない・・・

「死」とは、暗く、冷たく、恐怖に近い
この世で最後の経験・・・

私もわずかな経験ながら、
多少の死に接する機会がありました。

そのなかでも「自らの死(自死)」は、
唐突で、後悔の多い死に方だと感じます。

私も、ささいな悩みに心を奪われて
「自らの死」に近づいたことがありました。
さいわい、「死」に至る事はなかったのですが、
その経験が、物事のとらえかた・心の置き方を考える機会となりました。

最初のアプローチは、
「がんばる、負けない、やる気を出す!」
それから、
「気にしない、自分は自分、多くの心配事は起こらない。」
やがて、
「あらゆるモノに感謝、ありがとう、幸せ」
そして、
「気づき、願いは叶う、引き寄せ」

「引き寄せ」に関してはどっぷりはまりましたね🎵
同じ時期、
雲黒斎さんの「あの世に聞いた、この世の仕組み」
に出会うのですが、
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose
この世界観、宗教観が私にはとてもしっくりときました。

そして、数ある「引き寄せ」インストラクター(?)の中で
奥平亜美衣さんに出会います。
http://lineblog.me/amyokudaira/

ここが、私の死生観が概定しました。

要約すれば、

今生きている「この世」も、
死を迎え行くとされる「あの世」も、
実は、同じ世界・宇宙の枠組みのひとつであること。

そして「あの世」は、すべてがひとつであり、
悩みも、苦しみも、そして「喜び」すらもない。
それがために、
いわゆる「神」といわれるモノが、
この、物質世界を創造し、他者と違う形を与え、
制限を課して、
自我を与えた。

それまでは、すべてが一つであった世界から、
「生まれる」という形を経て、
この世に「人」として経験を積む。
喜び
哀しみ
不安
怒り
嫉妬
恐怖・・・
「人」として生まれた目的は?

それは「幸せ」になること。

多くの「人」として現れた者達は
やがては元の世界に戻り、以前一つであった世界のなかで、それぞれの経験を共有する。

それが今の私の死生観です。

もし、本当にそうであったなら、
「死」には全く不安がない・・・

生まれた事で「私」は、
まったく独立した個であるかのように考え、
自らの欲求を満たすために
物質世界に経済というルールをつくり、
自らを拘束する・・・

そういえば、前世の記憶がある方がいますね。
以前は不思議だな~くらいに思っていましたが、
この世界観であれば、前世の記憶があるのは当然、
みんな同じ情報を共有しているんですからね。

過去の「気づき」の先駆者である、
ブッダも、
イエス・キリストも、
ムハンマド
すべて、この世界の仕組みのを
それぞれの言葉で伝えただけ。

「私を信じなさい!」
これを聞いた方は思いますよね、
「私」と発した個人を信じるんだと。
違います🎵
「私」とは、真に自分自身の事。

思考を止めて、
自らの深部、以前居た(在った)世界につながる。
それがいわゆる「悟り」であり、「気づき」

だから・・

うーん、今日はここまで。