はんすうする。
「思考は現実化する。」これは真理です。
先ず、
俗に言われる「神」の世界は、結果「無」です。
よって、「他」が存在しません。
ゆえに、「我」を知ることが出来ません。
そして、俗に言われる「神」は、「我」を知るために、この現世を創造しました。
(七日間で創ったらしい。)
ここから、完璧なまでに計算された「現世」の体験が始まりました。
生命と言う創造物は本能により行動します。
そこに「苦痛」と「快楽」を与えられて、
「感情」が発生しました。
そして、その感情から「自我」が発生します。
自我は学びます。「苦痛」と「快楽」を。
そして、完璧なまでに神であった頃の我を忘れ、この現世に没入します。
喜び、悲しみ、感謝します。
しかし、一部の人のなかに過去の「我」を知る者が生まれます。
彼らは説きました。「我を信じなさい。君らは今も神であり、神とつながっている。」と。
しかしながら大衆は、「我」を自分自身ととらえず、
「我」と発した、彼らに真理を求めました。
これが宗教です。
宗教の教えにより真理に近づく事は出来ます。
ただし、
気付いた者、
近づいた者、
気付かない者は、それぞれに「今」を解釈しながら、
それぞれの正当性を他者に説きます。
そして、集います。
そして、争います。
「我」の正義のために。
意見は、交わることはありません。
良いのです。そもそも目的は我を知る機会なのですから。
そして現在、科学や心理学・哲学はそれぞれの解釈で「真理(オリジン)」に近づきました。
そして、ひとつの仮説にたどり着きます。
この世は、魂のバーチャル空間として、
いくつかの、制限を持ってこの世に誕生し、
悩み、悲しみ、喜び、死んで行く・・・・
何万回、何億回とこれを小分けされた神が体験し、今、その経験が最終段階にあります。
そして、この仕組みをいち早く理解した者たちは、この世にはそもそも不安などないことに気づきます。
その、理解とは、
「この世は、自らが創造したもの。」であること。
これにより、不安を手放し、
自らの想いにのみ感情をゆだねると、
(不安を手放すと、)
そこにはある意味「夢」のように現実がもたらされます。
気づき、引き寄せ、エンジェルナンバー等にあるように、 この世は思いのままであることに気づきます。
いよいよですね🎵
もう、終わりが近づいて来ました。
多くの人が、自分自身が実は「神」であった事に気づいてしまったのですから。
さて、今日はここまで。