「モノ」の話し
すでに、有り余るモノに囲まれながら、
今だ、つきることのない物欲
地上の物質を英知をもって生み出された
数々のモノ
そしてその所有により、生活の利便はもとより、
自らの地位を格付けする事も。
所有する優越感
安心感
モノとは区別するべきだが、ペットや観葉植物もその域か?
命を守るモノ
人の機能を助けるモノ
生活を支えるモノ
心を豊かにするモノ
そこから見える人の営みは、
なんて無駄で、尊いんだろう。
できれば、下着の一枚まで手放して、
本当に必要なモノを丁寧に選びなおしたい。
その思いには、
今の自分・現状に満足していない事がうかがえる。
午後になって、ふと
すべてのモノが尊いと感じた反面、
すごいゴミを産み出したものだとあらためて感心した。
夢のような。
はじめて手にしたゲームはなんだったろう?
叔父さんに買ってもらったやつ、
液晶でもないやつ。
そのうち、ゲームウオッチとか出てきたな。
特にゲームにはまるわけでもなく、
我が家にはファミコンもなかったな。
時の経過のなか、
今や、多くの人が
「スマートフォン」を持つ。
誰も想像出来なかったね。
会話のみならず、多くの人と情報を共有する。
スマートフォンだけでなく、
多くの文明がいちじるしい発展をとげた。
多くの先人が「未来」として想像した世界を
あっという間に越えてしまった。
そうね、
バック・トゥ・ザ・フューチャーは、もう少し先かな?
戦争も知らない。
飢えも知らない。
先人たちの夢は、いま叶えられている。
ありがとうございます。
不安収集
珍しく不安で眠れなかった。
でも、わかってる。
実は不安なんてない。
人(自分たち)が勝手に決めたルールで、
わざわざ「不安」な状況を作り出しているだけ。
そもそもこの世のなかに、不安は存在しないのだけれど、
「光」の対極に「闇」があるように、
「幸せ(安心)」を知るために、
「不安」な状況を必要としている。
基本は、安心しかない。けれど、
それを確かめるために、不安が必要
そう、
「不安はない。」と知っていれば、
そこにあるのは「感謝(安心)」だけ。
ほっと、自分回帰
パタパタしてたな。
無理に自分を作っていたな。
ふりかえれば、余裕・無駄な時間ばかりだったかな?
仕事は、ほんと試されているなーと。
まだ僕が未熟であるってこと。
「やること」
「やらなければならないこと」
「居る場所」
「責任」
があることは、幸せな事なのだろう。
反面、それらを負担に感じ、
足かせとなっていることも事実
「心穏やかでいられる場所」ではないな。
駆け引きや、しがらみや、ジャッジ、経済・・・
僕自身、心の置き方が大事ととなえながら、
自らの、不安を作り出していた。
やらなければならない事なんてない。
過去も未来もない。
不安なんてない。
今日からお休み
少しゆっくりすごそう。
教えられるかな・・・
僕の周りには「不安」の方が沢山います。
自分を守るために、他者を否定し自分の正当性を説きます。
トゲトゲしい言葉で。
参加していないのに、結果論を駆使して。
そんな人と接すると嫌な気持ちになります。
辛くなります。
怒りの感情も芽生えます。
だから、近くにいたくなくなります。
でも、知って欲しい
気付いて欲しいとも思います。
そして、僕は手放します。
無視するわけではないんです。
自分に戻るだけです。
そんな日常の繰り返し。