kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

ぐるっとまわって・・・

今さらだけど、

リチャード・カールソンの著書

「小さいことにくよくよするな!」

を読み返している。

その横には、

B・スイートランドの著書

「私は出来る!」黄金の法則

が常に置いてある。

 

ふりかえってみると、メッセージは

ここら辺から強くなってきた。

たまたま立ち寄った古本やさん。

 

調度、仕事も多忙(と、思っていた。)な時期

その頃は、選択肢がなかった。

自分は忙しくて、

時間がなくて、

努力しているつもりで。

 

今思えば、なんとも恥ずかしい。

常に自己主張ばかりだった。

一人でじたばたしてた。

 

アドラーや、D・カーネギーが、

経験と知識と臨床で多くの方法を言葉で残してくれたように、

その他の人たちも、それぞれの経験をもって沢山の言葉にしてくれた。

 

残念ながら、「言葉」に変換された瞬間に、

それは、元とは違うものになってしまうのだけれど、

多くの方々の著書や、言葉に触れ

その輪郭はだんだんとわかってきた。

 

この世の中の法則はひとつだけだ。

 

あまりにもシンプルで怪しいのだけれど、

今ならそれが理解出来る。

 

この世の中に、不安はない。

源はひとつ。

今、僕は体験をしている。

目的は、「幸せ」になること。

時間には、過去も、未来もない。

人がそのように感じているだけ。

過去は記憶

未来は想像

そんなことに「今」を費やしている。

 

全ては思いのまま。

人は不安を掻き消すように、いろんなモノを創造する。

 

バックレるわけではないんだよ。

ただ、恐れることは何もない。

今、穏やかでいる選択

その思いが、「幸せ」となるだけ。

不安な想いは、不安の「願い」となって、

具現化する。

 

その不安は、自分で創造したもの。

「今」穏やかでいるだけで良い。

 

そう、皆が教えてくれた。

 

いらないもの。

沢山のモノや価値に囲まれて、

凄くワクワクするし、

ありがたいと思うんだけど、

その反面、

「みんな要らない。」

とも思う。

 

それは、「安心」してきたから。

無くても大丈夫だから。

知らなくても大丈夫だから。

 

でも、そんな心持ちに至ったのは、

これら多くの価値観やモノに出会えたからでもあって、

このプロセスは必要不回避

 

あわてることはないけれど、

少しずつ手放していこう。

 

手放せば、新たなモノを得られるし、

手放しても安心でいられることを知ったから。

ルール


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「ルール」

最近ぼく的には

必要のないものだと思い始めた。

(競技やゲームは別ね。)

 

だって、ルールは価値観の異なる大勢を

律するためのシステムだから。

もっと言えば、「約束」すらも必要ない。

 

なぜなら、約束は疑いから派生したものだから。

そこに「信頼」があれば、約束は要らない。

 

けれども、

多くの人は「裏切られた」経験と、

自身の甘え(自分も裏切るかも知れない、約束を守れないかも知れない。)から、

第三者の「ルール」に縛られることを知らずして求めている。

 

そして、事あるごとに新たなルールを作り

自らの可能性をどんどん制限して行く。

 

その可能性とは「信頼」

他者を信じること。

 

本来、我々のためにあるとされる

法律や規則、規律やモラルが、

この世の中をどんどん生きづらくしている。

 

信頼もしくは、愛があるならば、

人は「ルール」など作る必要はない。

たのしいこと、すてきなもの。

ふと周りを見渡せば、

たのしいことや、すてきなものが沢山あって、

そのすべてを経験したり、

そのすべてを手に入れたいと思うのだけれど、僕には限界があって。

 

でも、他の人たちが僕の代わりに

沢山のそれらを経験したり、

育んだり、

創造したりしてくれていて。

 

それだけでなく、

楽しくないことや、辛い出来事も

僕以外の人たちが沢山経験してくれていて。

それを思うと、

心に不安の影が降りるのだけれど、

そんなときも、僕はほぼ100%幸せで。

 

それらの不安や、ワクワクや、ドキドキは

自ら作り出すことは出来なくて、

常に僕以外の誰かが提供してくれている。

 

これからタヒぬまで、

あといくつのたのしいことや、

すてきなものに出会えるだろう?

どんな辛いことがあるのだろう?

楽しみだな、

耐えられるかな?

 

金木犀の香りがする。

 

 

 

 

 

 

 

しわわせ・・・

「しあわせ。」ではなくて、「しわわせ。」

 

毛布が暖かくて、

お休みをもらえて、

求めると、そこに既にあって。

求めるものは、物欲ではなく、

「しわわせ」であり、日常であり、

満たすために、問題(満たされない)があり、

制限され、

クリアーして。

複雑なのに、シンプルで、奇跡的で。

ふと気付くとしわわせに満たされていて。

 

近づくと遠ざかり、

離すと、近づいてくるような・・・

 

なぜだ?

しわわせしかない。

なんだか、大丈夫。

「あっ」と言う間の、一週間でした。

 

で、

ハラハラすることとか、

やべー、やってねー!とか、

色々「ざわざわ」することが沢山ありました。

 

周りの仲間も、

イライラしたり、

軽蔑したり、

挙げ足をとったり、

威圧したり、

疲れきったり、

様々あったけれど、結果、大丈夫でした。

 

なんと言うか、

安全なジェットコースターのような。

痛いし、辛いし、ムカつくし、

上手くいかない(ように感じる。)

だけれども、

「大丈夫」なのでした。

 

そうね、

わかっていたつもりだけど、

実践するのって、とても勇気がいる。

 

本当は、そちらを選択した方が

何倍も楽なのに。

 

ずーっと、この生活のなかに

身をおいていたからね。

 

この一週間、僕は何を望んでいたのかな?

何を学ぶことができたのかな?

 

非日常へ。

朝早く起きてシャワーを浴びた。

お湯は温かくて良いな。

汚れも、鬱々とした気持ちも洗い流してくれる。

 

右手の動きってすごいな。

ただ、左手にしか出来ないこともある。

右手の爪を切ったりね。

 

やること沢山あるのに横になるよ。

この選択は、僕が望んでいたこと?

 

息を押し殺して、相手の反応をうかがうよ。

 

僕は、可愛そうな怪我人

おろかな、身の程知らずのおじさん

良いアイテムを手に入れたね🎵

 

でも本当によかったと思えるのは、

今、この感情でいられること。

 

想像だけど、以前の僕だったら、

もっと自分の被害者的立場を表に出して、

痛みを連呼し、

他者には無事であったことを

武勇伝として語り、

独りになっては、後悔し、反芻(はんすう)し、又、後悔していただろう。

 

転んだことで、

今まで想像しなかった選択肢が現れた。

 

もしかしたら、

もっと苦しい経験が準備されていたかも知れない。

こんな経験、好んでしたくないな。

この程度で済んでよかったな。

これからは、この教訓をもって自粛する?

 

いや、少し違う。

 

本音は、もっと上手くなりたいな。

経験した事は反映する。無茶はしない。

きれいに走りたいな。

 

バイクだけでなく、

日常も。

 

あれ?

いつの間にか、非日常が日常になった。