kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

今今の今


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写真は、テーブルにこぼれた水

面白いかたちになっていたので。

 

で、「今」の話し。

お袋は80歳を過ぎて独り暮らし。

叔父も80歳を過ぎて、こちらも独り暮らし。

しかも、時計店を今も営んでいる。

 

兄弟は、年が離れていて上の姉は10歳

長男にあっては一回りも年上

 

老齢によりこの先はどうなるか想像もつかない。

いや、予測は出来るな。

 

でも、考えない。

今だ検証中ではあるのだけれど、

この世の中の仕組みがそうであるならば、

先ず、不安はない。

 

結果、今今の自分を見れば、

世界情勢の不安も、

自然災害も、

通り魔的殺人事件も、

友人を装った詐欺にも出会っていない。

 

何もやりたくないとか、

欲求が消えたわけでもない。

 

ただ、「今」を切り取ると、不安がないだけ。

 

僕の職場は過去に学び、

未来を予測する仕事なのだけど、

それすらも本心は不要に感ぜられる。

不安の創造だから。

 

まだ勇気がなくて、試みてはいないのだけど、

この仕事を退いても生きては行ける。

 

何かの根拠がある訳ではないのだけれど、

大丈夫なんだ。

 

他者はもとより、

自身の老齢なども頭をよぎるのだけれど

まだ見ぬ未来や、

過ぎ去った過去に心をとらわれて、

「今」を見過ごすことはもったいないな。

 

頭がお花畑だと思われるかもしれない。

 

ただ、ほんとにこの世の中思いのままなんだ。

あまりにも出来すぎていて、幸運に躊躇(ちゅうちょ)してしまうのだけれど、これも悪い癖なんだなww

 

幸せを求めていながら、

いざ、幸せが訪れると自分には似合わないと受けとることを拒むんだ。

 

草を刈ってくれてありがとう。

庭の植物は葉を茂らせてくれてありがとう。

こんなところに住まい環境を提供してくれてありがとう。

 

僕の願いは、僕以外の人たちが叶えてくれる。

 

今はそれらの恩恵を、「他者」としか表現出来ないのだけれど、

たぶんこの世は奇跡的な何かで構成されている。

 

だから、確かめてみる。

「今」を。


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