kokorobukuro’s diary

Soul Design 心羽さんのすすめで、自分を知る機会として思いを綴るものです。私以外の方にはなーんにも役に立ちません?悪しからず。

いかり


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ふと気づくと、世の中には「怒り」が溢れている。

そういう僕もしかり。

 

怒りは感情の蓋

その蓋を開ければ、心のなかに

「悲しみ」が隠されている。

 

相手にわかってほしくて、

相手に理解されたくて、

助けて欲しくて、

愛されたくて、

僕も怒りを振りかざしてみる。

 

怒りは感情の蓋

 

思考を他者に向けず、

自分の感情に関心を寄せる。

 

そして、手放し、許す。

寝起きに雑感・・・


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1月も間もなく終わる。

年末年始がはるか昔の記憶のようだ。

 

「やりつくした。」と、思えるような達成感や記憶に残るイベントも無い。

当然、何かに挑戦したわけではないので、

達成感があるはずも無いのだが。

 

かと言って、自堕落に過ごしていた日々に後悔の気持ちもない。

 

むしろ、こんなに贅沢に時間を浪費出来る事が幸せに思える。

 

この世の中の何かと比べなければ、

「今」僕は世界一幸せと断言出来る。

題名なし。


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朝、お白湯を飲みます。

お気に入りの水筒にお湯を注ぎ、

少しずつ。

朝の始まりに少しあらがうために。

 

朝は好きです。

朝日が上がりきる前まで。

みんながまだ静寂の時、

僕だけの特別な世界と言う思いと、

夜を維持してくれていた人達への感謝

 

物欲は果てしないです。

既に沢山のモノに囲まれているのに。

愛着(想いで・プレミア感)と、

不足(足りない・満たされない)と、

自己顕示(持つことで自分を大きく見せようとする。)

もしかしたら、人生の大半はこの

「手に入れる。」と言うイベントに費やすのかも知れません。

 

女性に対する気持ちも物欲に似ている。

達成感?

気の効いた会話で相手を喜ばせたり、

好意をもってもらえるよう努めたり、

物欲も性欲もしかり。

手に入れるまでのプロセスに心をふくらます。

 

仕事、めんどくさいです。

ただ、そこにいるから知ることが沢山あります。

体験できること、得られることがあります。

ただ、価値観のどこかでは、ムダとも思っています。

人々が勝手に作った仕組みのなかで、

自らを拘束しているような。

それがために、悩んでいる人達が沢山います。

せめて、「委(ゆだ)ねる」気持ちで、

心をおだやかに。

「頑張れ」の言葉は自分専用

他者に使ってはダメ

 

お酒、変わったな。

今まで、あるべきものだったのに

今はなくても良い。

ただ、人生・生活を彩るために、

ツールとしてあることは問題なし。

勉強させてもらったな。

 

すごいね、この世の中

空気が無限にある。

「いや、有限だよ。」ww

そうね、その答えも心理

人の数だけ、現実と答えがあって。

自分を知るためのストーリーが展開される。

 

ついこの前までは、不足感の固まりだったけど、

今は、満たされている。

不安だと思った事も、結果的には

パズルのように答えがもたらさせる。

 

健康であること。

いつかはタヒんでしまう。

「今」タヒんでしまうかも知れない。

 だから、今を生きます。

 

そろそろ、お白湯を飲み終えます。

少し行動します。

朝風呂に入って、

町に行ってみよう。

何か食べて。

 

みんなが考えてくれた

様々な幸せを僕も共有します。

 

僕も何かあたえられたら良いな。

 

 

トレース



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トレース(なぞる)

 

問題は起きます。

解決・達成の喜びを知るために。

 

問題に触れては、一喜一憂し

さらに泥沼化することもしばし。

 

しかしながら、

問題は「起きる」のです。

知るために。

達成するために。

感謝するために。

 

困らないと、感謝しないのです。

それを知る機会なんです。

 

「トレース」

ここからは想像。

どうやら、その一喜一憂のストーリーも

自ら、やると・起こると決めていたらしい。

もちろん世の中には「タヒ」に関連する悲しい出来事が沢山あります。

身体の不自由や病におかされている方も。

他者が軽率に大丈夫などとも言えません。

ただ、あくまで、僕にあっては様々な苦労や悲しい思いではあったにせよ、

「良かった。」と、思えるのです。

自らが描いたストーリーとも思えるのです。

今、幸せだと言えるんです。

 

形はどうであれ、人はタヒにます。

 

自分は何を知るために、

自分は何を達成するために、

自分は何に感謝するために、

今、居るのでしょうか?

 

今、心に起きた感情を拾うと、

それは

「今を生きる」事のようです。

 

 

すごいんです。


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「平凡」な人生を歩んで来ました。

 

今は3人の子供にも恵まれ、

家も手に入れて、

経済的な不安も少ないです。

 

平凡で、普通で、並の生活・・・

と、思っていました。そうしたら、違うんです!

先ずは、子供、スペック高いんです。

 

同年代の僕と比べたら、うらやましいくらい。

また、多くの情報と、行動範囲が全く違う。

当然この世の中も、多くの経験から成長してきたんですね。

当時の僕は親から常に「不安」を教えられていました。

僕も妻も同じ文化圏でしたので、

同じように子供たちに「不安」を教えていました。

 

危なかった~、

少なくともそこには気づくことが出来ました。

 

だから、子供たちには思う存分「今」を体験して欲しい。

良きも悪しきも味わいつくして欲しい。

今、「気づかない」この時に。

 

そして、僕はその成長を見て幸せになります🎵

妻と、子供たちとそのプロセスを味わいます。

 

妻にも触れておくと、「貧乏性」です。

そのお陰で、僕の夢も沢山かないました。

今、新たなこころみに挑戦しています。

 

家族みんなで、沢山の体験を幸せとして共有しち生きます🎵

一つの解釈なんだけど・・ 


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頭にあるうちに書きつらねます。

 

① 自分が幸せであることはもとより、

私を取り巻くすべての人に「幸せ」であって欲しい。

家族、

同僚、

友人、

知人、

いや、

そんな枠組みではなく、すべての人に。

だから、どこかの誰かが宝くじに当たるのも嬉しいし、

高級スポーツカーを手に入れるのも素晴らしい。

僕の願いが叶ったと同じように嬉しい🎵

だって、

やがてその喜びは、僕も共有出来るのだから。

 

次!

② 僕が悲しいと思ったり、不快だったり、怒りに感じることは、

過去にそのように感じるよう教えられたから。

そのように学んだから。

悲しい想いをさせた他者が悪いのではない。

その人はその人の価値観であるのだから。

でも、もしかしたら、その教え(価値観)は間違っているかも知れない。

だから、どのようにしてそのように自分が学んだのかについては回想するべき。

 

悲しみや、怒りは、それを知るため、

もしくは「間違っているかも知れない?」

と確認する機会・・・なのかな?

(ここが少しよくわかんない。)

 

だから、不幸(?)を他人のせいにしない。

他者に心をとらわれず「自分」に関心を向ける。

 

大切なのでもう一度

「みんなの幸せは僕の幸せ。」

 

 

お金を使いました。


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昨晩、出張先で職場の仲間と町へ繰り出しました。

 

日頃、数十円の値引きに一喜一憂している僕が、

お酒の力も相まって、3件のお店をはしごして地域に貢献してきました🎵

 

カラオケではしゃぎながら、

そこにはやけに冷静な自分がいて、

酩酊(めいてい)する仲間を見ながら、

「みんな、こんなに飲んで、大金使って大丈夫なのかな?」

などと、ふかん的にその空間にいました。

 

他人を評価しながら、自己の正当性を説く仲間と、

その場を取りつくろおと、やけにハイテンションに振る舞う僕

性欲をおり混ぜまながら、ゲームのように言葉を交わして。

 

タバコの煙にむせながら、

とても贅沢な時間を過ごせることにホントに感謝

 

以前は財布の中を見て青ざめていましたが

最近は後悔はありません。

なぜか、お金は必要としてそこに現れるから。

 

同じような経験を何度と繰り返しながら、

素直に今を味わいつくして、

優越感に浸ろうとする自分をいさめながら、

沸き上がる感情から自身の価値観にふれる。

 

たまには良いかな🎵